こんにちは( ˊᵕˋ* )
今日もひなたぼっこに
お越しいただきありがとうございます。
今日はひなたぼっこな気持ちでいられなくなった時間(怒りを爆発した時間)についてお話しします。
朝5時。起床・・・。
参観日の代休で、子どもたちは今日お休み。
しかし、旦那は仕事。
5時に主人に起こされ、朝食の用意。
眠い目を擦りながらふらふらな体を動かす私。
「今日は子どもを起こさなくていい」
「ゆっくり目覚めるだろう。朝はバタバタせず少しゆっくりできる」
、、、のはずだった。
弁当4人分。黙々と作る。
焼いて、切って、詰めて、蓋をして。
旦那と私だけの静かなキッチンで、
ひとり朝の儀式をこなす。
フライパンでウインナーを焼く。
ガス台の前で、今日一日のことを
頭の中で段取りしながら、手だけが動いている。
そんな朝が、毎日続いている。
そうするうちに、まさかの6時。
どんどんという音と共に賑やかな子どもたちが
起きてきた。
え、、、早くない、、、です?汗
「〇〇ちゃんち行きたい」
「〜ちゃんのお母さんに連絡して。」
朝から自分の今日の過ごし方を気にする娘。
「朝6時、まだラインしても迷惑です。」
「じゃあいつするの?・・・・・・・・」
と自己中心的な発言の対応に心がすり減られる。
勘弁してくれ。
一番下の娘は布団の中でモゾモゾ。
「保育園行きたくない。」
その声を聞きながら、私の中で
「今日も始まった」
という感覚がじわじわと広がっていく。
ため息をつく暇もなく、
バタバタバタバタと朝が回り始める。
休みの日の朝は、なぜこんなにも忙しいのだろう。
平日より騒がしいことだって、ある。とほほ〜。
小さな「任せた」の勇気
夜のお米を仕掛ける役を娘に任せることにした。
だって「やるっ」て言うから。
炊飯器に水を注いで仕掛けるだけ。
ちょっと心配ではあった。忘れないかな?と。
でも、やれることはやってもらおう。
そう思って、「お願いね」と伝えた。
子どもに何かを任せるとき、心のどこかでは
「自分でやった方が早い」
という声がする。
責任感もまだないし、忘れてしまう恐れ、正直ある。でもそれって、
本当に子どものためになっているんだろうか。
責任持ってこなせる大人に育ってほしいなら、
まず「やる」という気持ちを大切にしたい。
そして経験させないといけない。
そしてそれ以上に、
私自身が「全部自分でやらなきゃ」という呪いから
少しずつ解放されていかないといけない。
準備を整えて、一番下の子を保育園へ送り届け、
そのまま会社へ向かう。
道の途中で気づく。お弁当、忘れた。
はぁーーー。
娘に電話。「冷蔵庫にお弁当入れといて」。
「わかった」と返ってくる。よかった。
おっちょこちょいな私だけど、
今日は娘が助けてくれる。
そんな安心感を胸に、仕事へ向かった。
自分軸で生きるということは、
完璧でなくていいと知ることでもある。
忘れたっていい。助けてもらえばいい。
一人で全部抱えなくていい。
「ちゃんとしなきゃ」
という声に従い続けることより、
「今日はここまでで十分」
と自分に言い聞かせることの方が、ずっと難しくて、ずっと大切だと思っている。
・・・
そのことを、この日の朝はまだ信じられていた。
堪忍袋の尾が切れた夕方
仕事が終わり、帰宅する。
そういえば明日はタイヤ交換だったな。
早めに動いておこうと思い、
帰宅した旦那にLINEを送る。
「後でタイヤ一緒に積もう」
帰って玄関を開けると、
旦那はシャワーを浴びていた。
「え?ケータイ見てなかったもん。知らんし。」
その言葉が、胸にズシンと落ちてきた。
「いや、見てなかったんなら仕方ない。わかるよ。」
でも・・・そんな言い方ある?
「ごめん見てなかったわ〜」で良くない?
言い方違うんじゃない?
そんな気持ちを胸に仕舞い込みながら、
私はひとりで、大きなワゴン車のタイヤを4本、
車に積み込んだ。
重い。重かった。タイヤの重さじゃなくて、
気持ちが。
そしてその後、
家に帰るとリビングには無惨な光景が広がっていた。
子供達のお弁当箱は、
無惨にもカーペットの上にコロン。
朝、忘れていった私のお弁当は、、、。
冷蔵庫には入っていなかった。
テーブルの上に放置状態。
朝、娘に頼んだお米も、炊けていなかった。
感情爆発。
朝、電話の向こうで
「わかった」と返信してきたあの言葉は、
どこへ行ったんだろう。
何で?と聞くと、
「だって。だって」の嵐。言い訳の嵐。
ため息だ。
いや、ため息じゃ足りなかった。
怒りが、静かに、でも確実に込み上げてきた。
なんで私だけ
旦那はシャワー後ソファに寝転んで携帯を見ている。娘も息子も、それぞれ自由に過ごしている。
テレビの音が聞こえる。
いつもの声が聞こえる。普通に過ごしている。
みんな、それぞれの夜を生きている。
なんで私だけ、こんなにバタバタしているんだろう。
この怒りは、「気にかけてほしかった」という、
ただの人間の気持ちだ。
この感情、ずるいとか贅沢とか言う人もいるかもしれない。
「家族なんだからしょうがない」
「お母さんってそういうもの」
そういう言葉で、何度もこの気持ちを飲み込んできた。でも今日は、飲み込めなかった。
怒りの下には、ちゃんと悲しみがあった。
「ありがとう」「気づかずごめんね」の一言、そして「お疲れ様」の言葉でよかったのかもしれない。
言葉一つで違うんですよね。
日々一生懸命家族のために動く。
その意味ってあるのだろうか。
とぷつんと心の糸が切れた。
自分軸で生きるということ
家事育児仕事。
それを毎日こなしているお母さんたちは、
本当にすごい。心の底からそう思う。
でも「すごい」と言われることが、時として呪いにもなる。
「すごいんだから、できるはずだ。」
「すごいんだから、まだ頑張れるはずだ。」
「お母さんなんだから、当然だ。」
違う。
「便利な道具」じゃない。
都合のいいお母さんでもない。
感情があって、疲れがあって、限界がある、
ひとりの人間だ。
自分の気持ちを、
誰よりも先に自分が知っていること。
そしてその気持ちを、
「でも私がやらなきゃ」
という言葉で上書きしないこと。
だから私は、この日、家事を全部投げ出した。
私は腐っているかもしれないお弁当を
レンジでチンして食べた。
美味しかった。
子供達と旦那は昨日の味噌汁と納豆・ご飯。
もちろんしたくはしない。片付けも自分で。
そういう日があっていい。
投げ出すことは、逃げることじゃない。
自分を守ることだ。
こんな日もある、でいい
期待することは弱さじゃない。
「助けてほしい」
「気づいてほしい」という気持ちは、甘えじゃない。
それでも期待が裏切られる日は来る。
何度でも来る。
子どもはまだ子どもだし、旦那だって完璧じゃない。私だって、完璧じゃない。
期待が裏切られるたびに怒って、泣いて、投げ出して、それでもまた朝を迎える。
(期待しない方がいいんだろうな・・・)
それが、お母さんというものかもしれない。
怒る気持ちも、
悲しむ気持ちも、
全部あなたの正直な心。
そしてそんな日を超えてまた朝を迎えている母。
十分すぎるくらい頑張っている。
毎日本当に、お疲れ様ですと
自分に言い聞かせました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
感情が乱れると心が疲れますね〜。
明日はひなたぼっこでありたいです。


コメント